新庄まつり

 

新庄駅前での宵祭りパレード

新庄祭りは

江戸時代の宝暦5年(1755)に大飢饉が新庄を襲いました。新庄祭りもこの宝暦の大飢饉がきっかけで始まります。

新庄市内には大飢饉で亡くなった方を弔うために作られた地蔵や慰霊碑も残っており、その中でも金沢にある接引寺にある

まかどの地蔵は新庄祭り同様、宝暦5年(1755)の大飢饉の犠牲者を弔って建てられたと伝えられています。したがって、今も春秋の彼岸に寺参りする人たちは、

この地蔵にぼた餅を食べさせる風習があります。

金沢接引寺にあるまかどの地蔵

 

新庄祭りの起源は宝暦の大飢饉で亡くなった餓死者に心を痛めた5代藩主正諶(まさのぶ)が領民を励まし、五穀豊穣を願う戸沢家氏神の天満宮の「新祭」を命じたのが

始まりです。

天満神社新祭(しんさい)願文(がんもん)(いた)(ふだ)・市指定有形文化財)

天満神社には、新庄まつりの起源である天満神社の祭礼の始まりに関わる祈願文が記されている板札があり、表裏に新しく始める祭りの願い文などが書かれており、表には、宝暦六年九月二五日、天下泰平・五穀成就等を祈って「新祭」を行った事が書かれており、令和2年には市指定有形文化財に指定されました。

 

祭りは8月24日の宵祭りから25日の本祭り26日の後祭りの3日間、行われ豪華絢爛(けんらん)を競う20台の山車行列、200人の侍や神官による古式ゆかしい

神輿渡御(とぎょ)行列、新庄城址で舞われる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊。藩政時代をしのばせる歴史絵巻が次々と繰り広げられます。時空を超えて浮かび上がる夢幻の光景、四方から沸き上がる熱気と興奮。期間中、まちはまつり囃子の響きに包み込まれます。

戦争や感染症のまん延による中止もありましたが現代に至るまで脈々と受け継がれており、また新庄市を飛び出し東京.沖縄等の国内やオーストリアなど海外にも新庄祭りを通じ交流を深めております。

平成21年(2009)には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016)には新庄祭りの屋台行事が全国33の「山・鉾・屋台行事」の1つとしてユネスコの

無形文化遺産に登録され、開府400年を迎える令和7年には新庄まつり270年の節目の年を迎えます。

 

新庄まつり公式ホームページはこちら

 

 

​​​​​​本合海地区のサンゲサンゲ

12月に行われる地域行事で、湯殿山の年越しの晩(12月7日)に尾花沢・大石田の北村山北部・村山市西部・最上地方で行われています。特に最上地方では村の年中行事の一つでほとんどの集落で行われていました。

実施する地域で違いがありますが行事はこのように行われます。
旧暦の12月1日または5日~8日まで、その年に出羽三山参りに行ったまたは行く予定の若者が米味噌豆腐大根酒等の食料、寝具を持ち寄って行屋に集まり、精進(しょうじん)潔斎(けっさい)しこもりながら神々を礼拝します。
行屋にこもる間は一日に2回又は3回、出羽三山参りの装束で三山内の神仏と町・村の神仏等の数多くの神々を順に呼び出し、参拝します。
その時には、「ナムキミョウチョウライ(南無帰命頂礼)、サンゲサンゲ(懺悔懺悔)、ロッコンザイジョウ(六根罪障)、オスメハ(ニ)ハツダイ(御注柱ハ八大)コンゴウドウジノイチ(金剛童子ノ一)ニ、ライハイ(礼拝)」と唱えます。

唱える文言の一部は地区によっても異なり、「サンゲサンゲ」の部分は、新庄市北町では「アヤニアヤニ」となり「ロッコンザイジョウ」の部分は唱えません。

太平洋戦争により中断した所もあり、戦後になってから年中行事としては急激に衰退しました。
昭和40年代以降は実施する集落は少なくなり、これまで堅く守られてきたおこもり・禁忌も形骸化し、開催期間も1日のみになるなど簡略化していきました。

新庄市では仁田山・本合海・仁間・福田・泉田・北町・金沢で行われていましたが、現在は本合海、北町の2地区と、新庄近隣の舟形、大蔵、鮭川の限られた集落で行われています。
令和3年には、本合海・北町の「サンゲサンゲ」が市指定無形民俗文化財に指定されています。

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萩野地区 山の神の勧進
山の神の勧進は最上地域に伝わる郷土行事で新庄市の他にも鮭川村・金山町などで行われる伝統行事です。
集落の15歳以下の男子が、山の神神社に祀られている山の神の木製の御神像を持ち「ヤマノカミノカンジン」と連呼しながら集落内の各家をまわり、山の神への供物である米や賽銭、菓子などを集めた後、御神像を飾ってお祀りします。
また、内容や勧進を行う日、唱える文言は地区ごとに異なります。

新庄市萩野地区の山の神の勧進を例にすると、昔は12月12日が萩野地区の山の神の日に当たるため12月12日深夜に行われていましたが、現在は12日に近い日曜日の日中に行われるようになりました。参加者は小学校低学年から中学校3年生までの男子が参加し、中学3年生を主体の一番大将として、その後二番、三番大将と続きます。
 

勧進は、萩野の公民館を宿として、前日に代々山の神神社の守をしてきた旧家より移された山の神の御神像を参加者が迎えに行きます。萩野地区の山の神の御神像は体長50㎝ほどの木像で、その像を抱えて集落の家々を周ります。
萩野地区の山の神様は女性で酷く醜い顔をしていると伝えられ、そのため勧進に女子が参加すると神様がやきもちを焼き、天候不順や凶作等が起こると伝えられていますので女子は参加できません。(新庄市内で行われる山の神の勧進の神様は女性の神様が多い)

家々を周る際に唱える言葉は各地域によっても違い、萩野地区では「山の神のおいで 銭なら四十八文(しじゅうはちもん) 餅なら十二 祝って給(たも)れや亭主殿 銭蔵米蔵積むように 銭蔵米蔵積むように この家(え)の身上(しんじょう)のぼるように この家(え)の身上(しんじょう)のぼるように」と、唱えます。

勧進の一行の迎え方も地域によって異なり、萩野地区では御神像を放り投げて転がし迎えた家人が御神像を拾い上げてから座敷に迎えお神酒、さい銭を供えます。その後御神像を子供たちに返し、さい銭を勧進の一行へ渡します。
この間にも一行は「山の神のおいで 銭なら四十八文(しじゅうはちもん) 餅なら十二 祝って給(たも)もれや亭主殿 銭蔵米蔵積むように 銭蔵米蔵積むように この家(え)の身上(しんじょう)のぼるように この家(え)の身上(しんじょう)のぼるように」と唱え続けます。(不幸があった家に対しては勧進を行いません)

各家々を周った後は、宿である公民館に持ち帰り参加者に分配されます。分配する額を決めるのは一番大将に委ねられ二、三番大将に一定の額を渡し、余りを一番大将で等分しています。
勧進が終わると御神像は旧家から山の神神社へ返されます。

山の神の勧進は時代が進むにつれ変化しており、神様が女性である通説や女人禁制のため女子は参加をしない決まりになっていましたが、少子化の影響も大きくなってからは女子の参加も認められている地区もあります。
平成18年(2006)に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に登録されました。

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【参考資料】山形県教育委員会発行 最上地方の山の神の勧進 平成24・25年度「最上地方の山の神の勧進」調査事業報告書より。 文化庁 国指定等文化財データベースより


萩野・仁田山鹿子踊
由来は諸説ありますが、その昔、大野(おおのの)東人(あずまびと)の東征のおり、村人がこの軍勢を慰めるために披露したとも、またはある年カモシカが小倉山に群れ遊ぶのを見て、村人が真似をしたら大豊作になったのでそれから踊るようになったともされる伝統行事です。

舞子は7人。カモシカに似せた鹿子頭をかぶり、下幕を付けて太鼓を腹に抱き激しく踊り、ジカタと呼ばれる唄い手2人は太い竹で作った「ささら」をすり合わせ古風な歌を唄います。
曲、伴奏、踊りと共にテンポが速く呼吸を合わせるのが大切です。

山形県内には様々な鹿子踊がありますが、萩野・仁田山鹿子踊は特に優れた踊りとして県無形民俗文化財に指定されています。

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護国神社前での萩野・仁田山獅子踊


雪中田植え


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なし団子さし

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新庄の昔話
 新庄地方は昔話(民話や伝説)の宝庫と言われ、化け物話・地蔵様の話・動物の話・笑い話・言い伝え等現在でも300話ほどが伝えられております。物語は、まず「むがーす、むがすあったけど」から始まり、「どんびすかっこねっけど」の言葉で終わるのが特徴となっています。

「新庄ふるさと歴史センター」内の「語りの部屋」では、いつでも目と耳で地元新庄の民話を楽しめるようになっており、毎週日曜日(12月と1月を除く)には、民話の会の会員による生の民話語りの口演を聴くこともできます。
新庄弁で語られる昔話(民話)を実際に聞いていると現在とは違った時間が流れ、不思議で懐かしい気分になるでしょう。

また市内には民話のとおりがあり、金の茶釜とおり(駅前通り)、こぶとり爺さまとおり(大正町通り)、かわうそど狐とおり(大町通り)、鴨とり源五郎とおり(南本町通り)、笠地蔵とおり(北本町通り)の5つがあります。
 

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 みちのく民話まつりの様子


新庄弁
新庄の方言は民話の中でも新庄弁として多く使われていますが、同じ新庄市内でも地区によっても少しずつ違います。
今日では普段の会話でも標準語が使われることが多くなりましたが、昔ながらの言葉に触れてみるのも楽しいものです。

方言の例をご紹介します。(※新庄市史別巻民俗編・第十章残したい新庄・最上の言葉より一部抜粋)

・うさかさ……落ち着きのない(うさうさとも言う)
・うるがす……浸す
・お晩方です……夕方の挨拶
・かちゃばぐ……かきむしる
・ごがすり、ごがする……わがまま
・ずほ こいで……嘘ついて
・せやみ(へやみ)……怠け者
・ががつぁ‥‥お母さん
・ほっけぇねぇ‥‥‥子供っぽい、頼りない。
・むぞさぇ…・‥‥かわいそう
・やばつい……冷たく気持ちが悪い「例 雨に濡れてやばつい」
・はいっとう・・‥‥ごめんください

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