寛政8年(1796)戸沢正胤が5歳で九代藩主となる。
寛政12年(1800)幕命により、戸沢系譜二冊作成、幕府に収める。
文化6年(1809)八柳騒動起こる。八柳極人父子成敗される。
長泉寺所蔵 三十三観音像掛仏
文政13年(1830)長泉寺の三十三観音掛仏完成する。上州(現在の群馬県)桐生や館林から招いた織師の作。
天保4年(1833)天下の口を干す、と言われた「巳年の飢渇」。戸沢正胤、江戸参勤中に急遽帰国し領内視察し、凶作の苦しみにあえぐ領民を励ます。
天保年中巳荒子孫伝
天保年中巳荒子孫伝は天保9年(1838)に南山村(現大蔵村)の庄屋柿崎弥左衛門によって書かれた天保四年(1833)に始まった飢饉の記録で正胤の領内視察の様子が記されている。(1巻から5巻までありそのうち2・3巻を新庄ふるさと歴史センターが所蔵している。)
天保6年(1835)戸沢正胤、天保4年の大飢饉の時に、領民の手当宜しきこととて、幕府より褒状を賜る。