新庄町小田島に生まれる。
東京帝国大学を卒業後茨城県庁に迎えられ、数々の建築物の設計にあたった。中でも、旧制土浦中学校本館と旧制太田中学校講堂は、国指定の重要文化財として保存されている。
洋風建築への意欲は、少年時代に山形県内の進歩的な建築の美しさに魅せられたからという。
明治38年に退職後は内務省に入って伊勢神宮式年造営に関わる。また海軍省では佐世保鎮守府庁舎を設計。
やがて福岡県で建築設計事務所を開設するが、肺結結核のため42歳の若さで世を去った。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年