新庄藩士の子として、文政元年5月、下仲町に生まれる。
家が貧しかったため、畑を耕す傍ら、漢学者・角館固佐について学び、17歳で子どもの教育を頼まれるようになる。若くして家塾(北條塾)を開くが、寄塾する者からのみ年6俵の米をもらい受け、一般からの謝礼は受け取らなかった。
幕末から明治初期にかけては、新庄藩校・明倫堂の講師を拝命する。学識・人柄ともに評判高く、門弟は4千人に及んだという。
明治の新しい教育制度下では、教員の資格を持たないため、月俸が低い準助教諭の身分のままで、修身や和漢文等を教えるなど、一生を学問と教育に捧げ、明治35年7月20日85歳で没す。
この功績が認められ、明治29年に藍綬褒章、41年には従五位に叙せられた。
教えを受けた弟子たちにより、大正元年、最上公園に報恩の碑が建立されている。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年