天保14年(1843)戸沢正実が家督を相続し、12歳で十一代藩主となる。
幼年のため、祖父正胤が後見のとなり政務を補佐。また新庄藩の藩札が発行される。

嘉永元年(1848)家老・吉高()()()の「嘉永の改革」始まる。改革の一環として役所の改廃、藩士の俸禄が(おもて)扶持(ふち)制への変更となる。
安政5年(1858)戸沢正胤、新庄にて病没(67歳)。同年に落合町全て・清水川町・馬喰町・御長柄丁・山口町・片原町・新長屋宮内までが延焼する大火「落合町どや火事」が起こる。
慶應4年(1868)戊辰戦争がおこる。新庄藩は羽州庄内征討の指令を受け、清川口戦争(腹巻岩の戦い)に参戦。その後反新政府同盟の奥羽羽越列藩同盟に加盟。
金山森合峠・大滝の合戦より新庄藩は新政府軍側につく。庄内勢が新庄に進攻新庄城は落城する。藩主一行は秋田へ転陣しその後新庄へ帰陣。


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新庄の戦い絵図

明治2年(1869)戸沢正実、新政府より御賞典禄1万5千石下賜される。版籍奉還、戸沢正実新庄藩知事となる。
明治4年(1872)廃藩置県。新庄藩が廃され、新庄県となる、その後山形県に合併される。

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