昭和2年(1927)昭和地区入村式第一回目16人入村。昭和7年まで77戸が入植する。
昭和3年(1928)大正末期より雪害運動をとなえた代議士松岡俊三が、新庄町で代議士失格のお詫びと「雪害意見」の講演を行う。
昭和7年(1932)松田甚次郎、鳥越にて最上共同村塾を開く。
昭和8年(1933)農林省積雪地方農業経済調査所が建てられる。(昭和54年に東京へ移転となり閉所するも昭和12年に建てられた庁舎は現存。)
昭和12年当時の農林省 積雪地方農業経済調査所(現 雪の里情報館)
昭和9年(1934)農林省蚕糸試験場福島支場新庄出張所設置される(現新庄エコロジーガーデン。昭和12年に名称変更し農林省蚕糸試験場新庄支場となり平成8年に廃止。)
昭和12年(1937)時局柄、新庄まつりの山車巡幸を取りやめ、平祭りとして盛大な戦勝祈願を行う。(昭和12年~16年までの5年間山車巡幸行われず。)
昭和13年(1938)松田甚次郎、「土に叫ぶ」を東京羽田書店より出版。
昭和19年(1944)新庄市出身(出生地は宇都宮)の軍人小磯国昭が第41代内閣総理大臣になる。(昭和20年4月内閣総辞職)
昭和14年 小磯国昭が平沼内閣の拓務大臣に就任を祝った旗行列
昭和20年(1945)新庄が8月8日、8月10日に米軍機の攻撃をうける。
昭和21年(1946)昭和18年以来中止となった山車が復活する。
昭和22年(1947)東北地方の巡幸中の昭和天皇が新庄を訪れ山車をご覧になる。
昭和23年(1948)稲舟村が新庄町に合併される。
昭和24年(1949)市制施行され、新庄町から新庄市になる。当時の人口は30,945人であった。
市制施行記念アーチ
<参考 新庄市役所HP新庄藩の歴史・新庄市史年表・旧新庄市史・新庄市史4,5巻より参照>