新庄城下の宮内町に生まれる。
旧新庄藩士で、居合や弓術等の武芸百般に通じ、日置流の強弓にかけては右に出る者がいなかった。
明治6年に秩禄の法が設けられると、禄を政府に売って金魚や鯉の養殖を学んだ。
新庄藩最後の御用人を務めた父の土産の江戸凧をもとにした凧を作ったところ、色彩豊かな武者絵や般若の絵柄が評判となって有名になり、自画自作の版画・隠明寺凧として大正初期まで作られた。
そのほか、囲碁、将棋、三味線まで幅広い趣味を持ち、菊川淵斎に師事した絵の弟弟子に狩野探令がいる。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年