宝永7年(1710)戸沢正誠(まさのぶ)が隠居、家督を正庸(まさつね)に譲り三代藩主となる。
正徳3年(1713)新庄藩の基本的な農民法令「正徳の条々」が布達される。(同年に山林保護に関する包括的な条例「条々」も布達され、以後布達される山林法令や農民法令は、全て「正徳の条々」や「条々」が基本となっている)


瑞雲院内西墓地内戸沢家墓所
(通称焼け寺 元々この地に瑞雲院があったが焼失   現在は初代藩主政盛の正室真室御前を始め戸沢家の女性たちの墓石が残っている)

享保6年(1721)瑞雲院全焼(享保12年に現在の場所に再建される)

二代藩主戸沢正誠遺品
正誠の副葬品

享保7年(1722)戸沢正誠、常盤丁別邸にて病没(83歳)、西山桂嶽寺に葬られる。
享保19年(1734)戸沢正庸実子、六三郎正勝(まさよし)​​​​​​​​​​​​​​(後の四代藩主)を嫡子とする旨願い出て許される。

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