市内紙漉町(現・沖の町)の藩士尾形与十郎の子として生まれる。幼名は久作で、本名は有典。
明治5年、15歳のときに菊川淵斎の下で画を学び、20歳の頃、淵龍斎の名を授かった。
明治15年、25歳の時に兄弟子のあとを追って上京し、狩野探美についたが、その5年後には狩野派の門を出て、南画・北画の画風研究のため長野上諏訪地方に滞留し、画業の研鑽に努めた。この頃、号を「芦香」と改め、その後京都や奈良の寺院を訪ねさらに研鑽を重ねた。
昭和9年75歳のときに帰郷した芦香は自宅で多くの門弟の指導にあたり、当地方の美術の発展に大きく貢献した。
昭和21年に89歳で死去。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年