尾花沢生まれ。
人形師であった父(初代北山)とともに5歳のとき新庄に移った。
能面制作を本業とし、皇太子殿下御成婚祝いの献上品など数々の名作を残す一方、上山春雨庵の沢庵禅師立尊像、新庄会林寺の延命子育地蔵尊像などの仏像彫刻にも優れた。
新庄まつりの山車人形もほとんど手がけ、同まつりが日本一の山車まつりと称させる基を築いた。また、謡曲は宝生流の師、俳句は芭蕉の正風伊勢派八代正統を継ぎ、北陽社の二代目主幹を務めた。
新庄城址心字池のほとりに句碑が建てられている。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年