新庄藩士の子として宇都宮に生まれる。
日露戦争で武勲をたて、明治40年陸軍大学に入った。卒業後は軍の中枢として手腕を発揮、昭和12年陸軍大将となる。二度にわたって拓務大臣を務めた後、昭和19年東条内閣の後を受けて第41代総理大臣となり戦局の転換に努力するが失敗、翌年辞職した。
昭和20年終戦を迎え、戦犯として巣鴨拘置所に拘留され獄中にて病死。その間、軍事裁判の裏紙に自分の記憶だけで自叙伝「葛山鴻爪」を書き上げた。
山形県が生んだただ一人の総理大臣である。
漢学者・教育者 1818~1902年
隠明寺凧創作者 1844~1915年
馬産振興者 1849~1936年
教育者 1854~1893年
政治家 1859~1924年
海外貿易の実業家 1873~1938年
洋風建築家 1877~1919年
教育者 1880~1955年
陸軍軍人・政治家 1880~1950年
代議士 1880~1950年
造園家 1881~1966年
郷土史家・思想家 1881~1927年
日本画家 1888~1980年
日本画家 1858~1946年
蚕糸研究者 1888~1984年
国際的柔道家 1898~1974年
能面師 1900~1964年
農業活動家 1909~1943年
日本画家 1826~1891年