寛永元年(1625)新庄城が完成する。

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初代 政盛の時代 新城絵図(正保の城絵図)

正保元年(1644)に幕府が各藩に命じて作らせた城絵図。新庄ふるさと歴史センターには模写したものがあり、原本は内閣文庫に所蔵されている。

寛永2年(1626) 開発田8,200石の朱印状を賜る。(石高68,200石となる。)

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寛永2年の知行状

 

寛永5年(1628)戸沢政盛、天満宮を城内に設営。
寛永13年(1636)新庄侍屋敷より出火、本丸・二の丸・天守(やぐら)​​​​​​​焼失。天守櫓は以後再建されなかった。
寛永15年(1638)戸沢定盛(政盛養子)荒小屋八幡を鳥越に移し、鳥越八幡神社本殿を建立する。

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鳥越八幡神社本殿棟札

寛永18年(1641)戸沢定盛(政盛養子)江戸にて病没(34歳)、この年は凶作であり翌19年にかけて大飢饉(ききん)​​​​​​​であった。
慶安元年(1648)戸沢政盛江戸桜田藩邸にて病没(64歳)、その後遺骨を新庄太田の瑞雲院に送られる。また藩士二人が殉死している。

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