元文2年(1737)戸沢正庸が隠居、正勝(まさよし)に家督を譲り四代藩主となる。 元文5年(1740)戸沢正庸病没(77歳)。遺骸を瑞雲院に葬る。
新庄往来 (新庄城中の新年の儀式、領内の名産・名物・名所・旧蹟などが記されている)
寛保3年(1743)新荘往来刊行される(作者不明) 延享2年(1745)戸沢正勝、大病に罹り急遽弟内記正諶を養子にする願を提出(後日許される)。 戸沢正勝病没(24歳)、三田常林寺に葬られる、その後瑞雲院に分骨。