新庄城二の丸跡発掘調査

2024/01/17 -- Posted by : admin

新庄城二の丸跡発掘調査について

 

 

1.はじめに

遺跡(埋蔵文化財)と聞くと、旧石器時代や縄文・弥生時代といったかなり古い時代をイメージする方が多いのではないでしょうか。遺跡とは、過去の人間の活動の跡が残されている場所を意味します。具体的には、遺構や遺物が残されている場所を指し、住居跡や工房跡、水田跡、貝塚、だけでなく、古代から近世までの都城跡なども含まれます。

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新庄城絵図(日本画家:尾形芦香画/1858年~1946年)

この度、本市の公立保育所整備に伴い、新庄城二の丸跡の発掘調査が行われました。これは、保育所整備予定地が、新庄藩祖の戸沢政盛が寛永二年(1625)に築城した新庄城の二の丸跡、特に米倉が建っていた場所にあたり、前段で行われた試掘の結果を踏まえ、保育所整備の内容が、地下の遺跡に影響を及ぼす内容が高いことから、文化財保護法に基づき、正式な調査として行われました。

 

2.事業内容

(1)調査要項

①調査期間 令和5年5月15日(月)~11月14日(火)

②所在地 新庄市堀端地内(新庄ふるさと歴史センター脇)

③調査機関 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター

④調査面積 1,800㎡

⑤検出遺構 建物跡、溝跡、土坑、柱穴、ピット

⑥出土遺物 陶磁器、瓦、金属製品、石製品

 

(2)調査の概要と経過

調査は、重機による表土の掘削から始まり、作業員の方々による手掘りに移り、まずは調査区壁面の整形を行いました。公園や学校に由来する盛土は固く、大変な作業となりました。

 調査は、出土する遺物や遺構の検出状況を見ながら、掘削する深さに応じて第1面から3面に分けて行われました。

 第1面は、戊辰戦争の際の火災に由来すると考えられる焼土や炭化物が混じった層が広範囲に認められました。主に明治以降の遺構となり、この層からは炭化米が多く出土したことから、江戸時代にこの場所にあった米蔵に由来する物と考えられます。

戊辰戦争後、二の丸跡は、盛土のうえ、新庄中学校、新庄北高等学校が建てられていました、高校移転後は都市公園の一部となっています。

第2面は、二の丸に関係する遺構と戊辰戦争後に瓦などを廃棄した遺構などが認められました。

焼土遺構は戊辰戦争の際の火災によるもので、炭化材や炭化米を含みます。

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調査の様子(炭化した木材等の取り上げ)

 第2面は、二の丸に関係する遺構と戊辰戦争後に瓦などを廃棄した遺構などが認められました。焼土遺構は戊辰戦争の際の火災によるもので、炭化材や炭化米を含みます。

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北側調査区で確認された大きな礎石

瓦が廃棄された土坑や廃棄地点が3カ所確認されたほか、建物の礎石や柱穴が検出され、礎石は大型で方形の割石や円形・楕円形状の自然石が使われています。大型の礎石は直径が50cm以上で、火災による被熱の痕が残ります。後世のかく乱で失われた礎石もあり、建物の規模は不明ですが、江戸時代の米蔵の礎石に該当するものと考えられます。

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鯱瓦(鱗のような文様が見られる)

  第3面は、新庄城の築城後に二の丸が整備されていった面と考えられます。調査区の西側では落ち汲む地形が確認され、築城当初は湿地的な地形であった場所を大量の瓦と土砂を入れて整地を行い、堅固な平場を造成していったと考えられます。調査区の東側では、南北に延びる溝状の遺構や土坑(どこう)などが確認されました。江戸時代前半の時期と考えられますが、これらの遺構も二の丸の整備に伴い埋め立てられ整地されたと推測されます。

 

 遺物としては、江戸時代の瓦や陶磁器、金属製品、石製品が出土しました。瓦は黒色の丸瓦と平瓦が主ですが、鯱瓦と考えられる破片も出土しました。

 陶磁器については、九州の伊万里焼や唐津焼が見られ、17世紀代になる古手のものが多いようです。中国産の青花も少量ですが見られました。

 その他、江戸時代の貨幣(一分金・寛永通宝)や鉄製品・銅製品なども出土しています。

 

3.遺跡調査の目的・意義

 発掘調査の目的は大きく分けて2つあります。

一つは、遺跡のある地域の歴史を知り、現代に伝え、今の私たちの生活に役立てることです。

もう一つは、道路や建物を造るために遺跡が壊れてしまう前に、遺跡の内容を記録するための調査になります。

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歴史小説家:今村翔吾氏との発掘調査(新庄中学校)

遺跡は地域の大切な宝ですが、私たちの生活も大切です。このため、どうしても遺跡がある場所に道路や建物を造らなければならないこともあります。このような場合に、この度のような遺跡の内容を記録するために調査が行われます。

 

今後、発掘調査で出土した遺物は、調査主体である公益財団法人山形県埋蔵文化財センターにて、洗浄・整理などの作業を行い、その後、報告書作成に生かされます。

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現地説明会の様子(11/3、金・祝)

市内外から80名を超える参加者が参加

本市では、今後、整理が済んだ遺物から預かり、新庄ふるさと歴史センターでの企画展等で活用していきたいと考えています。

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